December 14, 2005

■最近、気になること。

テレビやネットで飛び込んでくる残忍なニュース。


あんな幼い子がどうして、殺人の対象になるのか?



攻撃する感情の元は、怒りから生まれるはず。

怒りやマイナスな感情の矛先がどうして子供なのか。



あまりに惨いから、つい目をそむけたくなるのが

私の本音だけど。。


さすがに逃げられないと思う。



きっとこれは私たち大人が作り出したモノ。

被害が子供たちに及んでいる。


いい加減真剣に考えろという言葉が

ニュースが流れるたびに聞こえてどうしようもない。



最近多くの小学校で集団下校を呼びかけているという。

見たことがあるが、まるで運動会の入退場のように

2列に並んだ子供達が先生はじめ大人と共に、

ぞろぞろと帰ってきてる。


今では普通の光景なのかもしれないが、、

やりきれなく感じてしまう。



黙認されてた子供の自由が

どんどん無くなっていくように思えてくる。



私が住む町では新しい道路ができるなど

どんどん開発が進んでいる。

ずっと昔遊んだ空き地などは、もうナイ。

日が暮れるまでレンゲを摘んだり

心行くまで泥だらけになって遊んだ何もナイ空き地。


とても賑やかだった公園も駐車場に変わり、

唯一残った公園からは猫の糞の問題か、砂場はなくなり、

先日、事故があるからと数人でのれるブランコも取り払われた。

このゆりかご風のブランコは、私たちの頃から一番人気があった。


大抵、人気がある遊具や遊びというのは、

危険なモノであるし服が汚れるものである。


ある幼稚園からは、ブランコが取り外されたと聞いた。

保護者から危ないという苦情が出たらしい。



一見、殺人事件とは関係ないように思われるかもしれない。


でも、、私はいつもこういうことを考えてしまう。


『すべてが大人のための社会』


すれ違う子供は、大人たちが競争のように

売るために作ったゲームに夢中。

服は汚れないし、ケガもしない。



子供の頃、キレイとか秩序とか、

あんまり関係なかった。

ケガなんて、日常茶飯事。

時がたつのを忘れるほど、遊んだ。

泥や砂や水や石ころや木の実や虫たち。

友達との楽しいおしゃべりやケンカ。

学校帰りの危険な寄り道。

秘密基地や自分たちで作った頼りないブランコ。

そういう中でこそ、多くの大切なことを学んだように思う。


こうするともっと楽しくなる。これはしてはいけない。

ここまでするとケガする。これは痛い。

こうすると友達は喜ぶ。こうしたらきっと悲しむ。


人に言えないいたずらも沢山した。

今なら大騒ぎされるだろう残忍なことだってやってきた。


でも、親にバレなくても、誰かに叱られなくても、

大いに罪悪感を覚えたし、二度と同じことはしなかった。

それ以外に、楽しく面白いことがあったからだ。


そしてそういう楽しみを見つけることができるのは

必ず自由の中であったように思う。



子供の自由がなくなっている。

いつでも大人の目が光っている。

それは決して暖かく見守る目ではなく、

疑いや自由を奪おうとするかのような眼差し。


何か事件が起こるたびにその率はもっともっと高くなっていく。

子供が安全で健康であることは、大人は安心である。

心を煩わせる必要もナイ。親としての心労は楽になる。



何もない道で転ぶ子供が増えているという。




いかに自分たちが過ごしやすい環境にするかという

大人の勝手な基準に無理やり合わせられている子供たち。

ストレスを無意識に抱えながら大人になっていく。


どうしても、そういう風に感じてしまう。



そして、自由を奪われた人間が、どういう風になるのか?

とても怖い。


ここ数年、その結果が出始めているように思えて仕方ない。



子供を育てることは、生易しいことではない。

危険の全くない、ばい菌もない、キレイで整った場所でなんて

子供は育たないように思う。


こういうもっと根っこの部分を、大人たちが

変えていかなければ、また同じことが起こるように感じる。




・・・・・・ってことを、ニュースを見ながら考えてた。

自分の生活を振り返っても、あぁ〜何てことだ・・・(__;)と

反省も多くある。


子供が育つという人間形成の一番大切な時期に、

もっと豊かな自由を作ってあげられる社会になるには、

まず、何をしたらいいのだろう・・・



はぁ・・・何だか重い日記・・・。




氣を整える
○。Fortunate cafe。○

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