November 12, 2009
■【ほ】本物の信仰
あいうえお・・・【ほ】
お題・・・【本当の信仰】
先日、ある方が亡くなったので、
通夜葬儀に参列してきた。
大きな葬儀会場でしたが、
最近の葬儀場って、綺麗ですねぇ。。
内装もサービスも、ホテル並です。
スタッフの方も洗練されていて、
悲しむ遺族の方々も、こういうところで見送れば
かなり癒されるのではないかと感じました。
いやいや、そんなことはさておき。。
実はこの葬儀、某新興宗教による葬儀だったんですね。
故人は、熱心な信者というワケではないのですが、
息子である喪主の方が妄信なさっている。
膨大な人数の見知らぬ弔問客は、ほとんどが信者であり、
お経をあげる導師も信者。
お経は皆で読経。膨大な人数ですから、まるで大合唱w
喪主、導師、弔問客代表がそれぞれ挨拶されましたが、
すべてはその宗教の賞賛としか感じない内容。
まるでこれこそが本物の信仰であると言わんばかり。
何というか、故人を見送る、というよりも、
その宗教の集会かのような雰囲気である。
ほかの遺族達は、ポカン・・・?といった感じで(^^;
ま、こういう葬儀になろうとは、誰も思わなかっただろうし(汗)
凄い団結力だとは感心したものの、
これが、本当の信仰というものだろうか・・・?と。。
一応、かろうじて遺族である私も、
どうにも腑に落ちない氣がして、、
通夜の翌朝、急いでコンビニで化粧道具を買い、
とてもお洒落だった故人に、お化粧直しをさせてもらった。
お化粧しながら、笑いかけてくれた氣がした。
お疲れ様と、ありがとうを伝えて・・・。
「ほんとにこれでいいの・・・?」なんて問いかけたり(^^;
人生を精一杯生き抜いた故人は、葬儀などどうでもいいかもしれない。
通夜や葬儀は、故人に感謝の意を伝えるため、お別れをするための、
遺された者達のためにあるものだろう思う。
だからこそ、
できれば故人らしい、故人を偲びやすい、故人が喜ぶような
お別れ会にしたいと思うのが普通だと感じる。
ちょっと切ない想いで帰ってきました。
ナンダかなぁ・・・って。
宗教を否定するつもりはないけど、
何かを妄信することは、自由を失くしてしまう氣がする。
いつだったかのブログにも書いたケド、
「傷ついた鳥を、
スピリチュアルは癒したあと、カゴの外へ逃がしてあげる。
宗教は、癒したあと、カゴの中へ閉じ込めてしまう」
という、たとえ話を思い出した。
故人にお別れをしに来て下さる知人友人や遺族達は、
皆、同じ気持ちを抱いたと思う。
みんながそのカゴの中にいるワケではない。
カゴだけが唯一の世界じゃない。
通夜の後の会食の際、
弔問客の膨大な人数に非常に感激していた喪主。
その喪主が、以前、入信を勧めて断られた方が亡くなった時の
少人数でも暖かかった葬儀のことを比べ、見下した発言をしていた。
同じ『霊性』を学んでいるのに、どうして根本がわからないのか?
その宗教自体が不可解に感じる。
このテーマは難しい。
『他人とは政治と宗教の話はするな』といわれるように、
当たらず触らずな遺族たちと同じ気持ちながらも、
何ともしっくりこない感覚が歯がゆくて(^^;
まだまだですね(__;
頑張らなきゃっw (・・・ナニを?)
愛すること、伝えること、楽しむこと、
そして、
故人のように、精一杯生き抜くことっ!
明日も頑張りましょうっ♪
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